「ホームロイヤー」とは、あまり聞きなれない言葉かもしれませんが、自分の健康に不安を覚えた時に気軽に相談できる「かかりつけのお医者さん」がいるように、法律にかかわる問題が生じた時に気軽に相談できる弁護士のことです。アメリカでは、「ファミリーロイヤー」といい、ほとんどの家庭にはいるようです。日本ではまだ少ないようです。「ホームロイヤー」は日本の造語です。
高齢になっても住み慣れた家で暮らしたい。これは多くの方の望みです。ところが、高齢になっても平穏な生活を続けるにはさまざまな不安があります。
(1)介護サービスや医療サービスをしっかり受けられるだろうか。
(2)悪徳商法や、詐欺の被害にあったりしないだろうか。
(3)自分の財産をきちんと管理できるのだろうか。
(4)亡くなった後の葬儀や財産の処分はどうすればいいのだろうか。
介護サービスを受けるにも「契約」が必要ですし、老人ホームに入居するにも「契約」が必要です。布団を高く売り付ける悪徳商法や、縁の下にもぐり込み欠陥でもないのに欠陥住宅といって工事代金を請求する悪徳業者、そして高齢者をターゲットにする「振り込め詐欺」などが社会問題になっている現代では、住み慣れた場所で生活を続けようとすると、好むと好まざるに関わらず、契約や法的な問題に直面します。
このような法的な問題全般について、気軽に相談に応じ、場合によっては代理人として活動するのがホームロイヤーです。
つまり、住まいの問題、詐欺被害、介護サービスなど身の回りのことのほか、財産管理、任意後見、遺言書作成などを含めた生活全般について、継続的な相談にあずかるのがホームロイヤーということになります。
本人と弁護士は、まず「ホームロイヤー契約」を結びます。ここでは契約の目的は、「依頼者対する継続的な支援により、事前の紛争を防止するとともに、生じた紛争を迅速適切に解決し、もって依頼者が憂いのない豊かで安心した生活を営むことができることを目的とする。」と定められます。
また委任の範囲ですが、日常生活の中でのさまざまな法律相談のほか、弁護士から本人に対して電話や面接での安否の確認や、家事援助者から本人の生活状況について報告を求めること、また必要な都度本人の主治医に健康状態を確認することなどが含まれます。
肝心の弁護士の費用ですが、毎月1万円(消費税込みで1万500円)くらいです。ただ、委任事務の範囲を超え、例えば「公正証書遺言」などを作成する場合は、あらたな契約を結び費用は別途協議して決めることになります。
私が、ホームロイヤーという『かかりつけの弁護士さん』がいたほうが良いと考える一番の理由は、高齢者ご本人が「亡くなるまで、自分らしい生き方をしたい。」という気持ちを、日常生活の中でできるだけ尊重することができるところにあると考えています。
判断能力がまだ十分あるときに、『これからの自分らしい生き方』を考えていただき、これを話していただいて書面に残すことから始まります。
このような書面を作成して弁護士が保管しておき、その都度本人とも相談の上、対処していきます。本人が高齢になった時点での介護や医療の内容については、本人に十分な判断能力がなく、意見表明が難しいときは、とかく親族間でもめることがあります。このようなことを防ぐとともに、本人の希望する最後までの充実した『生き方』をできる限り実現するために有効な手段となります。
イメージがわかないかも知れませんので文例を紹介します。これはかなり詳しい内容ですが、場合によってはもっとシンプルなものになります。
主に健康面に重点をおいた『自分らしい生き方』の意見表明の例です。
本人の意見表明がむずかしい場合は、弁護士が本人が表明した意思を代弁し支援していきます。なお、財産の処分や、本人が事業主で株式譲渡などによる事業承継が必要なときは、その都度弁護士と相談して対処することになります。
『1 この書面の趣旨について
(1)この書面は、私の今後の介護、医療、終末期医療、脳死などについて私の考えの方の表明である。
(2)この書面は、介護、医療などで、子どもと施設の担当者、医師、親族との間で意見が別れたとき、この書面を示して私の考えを尊重してもらうために作っている。
2 介護と成年後見について
(1)私が要介護状態になったときは、四季の変化が実感でき、思い出のいっぱいある在宅での介護を望んでいる。自宅でヘルパーを雇い、身体、食事、入浴などの介護をしてほしい。
(2)私が認知症になり自宅での介護が困難になったときは、近くでのグループホーム、特養ホームなどでの介護もやむを得ないと考えている。
(3)私の介護のために、子どもが仕事を休んだり、仕事を断念することはせず、就労を継続することを心より望む。
(4)後見人に望むこと
① 私の介護は可能な限り在宅でお願いしたい。
② 介護の費用は、私の預貯金を使い、私が100歳まで生きることを前提にしたケアプランを立て、その範囲で毎月の出費や生活費などを支払ってほしい。
③ 私の判断能力が減退したときでも、私が好んだ裏山の散策、円山公園の花見、美術館など、可能な限りヘルパーつきで実現してほしい。
④ 施設での介護が必要なときは、知人が訪問しやすい近隣での介護を望む。
3 医療について
(1)私が病気になり、医療や手術を要するようになったときは、最高水準とは言わないが、ある程度高い水準の病院での治療、手術を望む。
(2)手術の是非が問題になるときは、回復の可能性が高いときは望むが、主治医以外の医師の意見も聞き、可能性が50パーセントを大きく下回るときは手術を望まない。
(3)私が90歳ころになったときは、簡単な手術は別にして生死にかかわる手術は望まない。
4 終末期医療について
(1)私は治療や手術の効果が乏しく、かつ生存のためだけの延命治療を望んでいない。
(2)私は家で最後を迎えたいと望むが、医学上在宅が困難であるときは病院での終末期治療は、症状をやわらげる痛み止めなど以外は原則として必要と考えていない。
(3)医師と家族との間で、治療方法や効果に争いが生じたときは、医師の判断に従ってほしい。
5 おわりに
(1)私は人間として尊厳ある生き方を望んでいる。介護や医療において、私の自尊心を傷つけることがないことを望む。
(2)私は家族の愛情は大切なものと考えるが、家族に迷惑をかけてまで生きることを望んでいない。ただ、人生の最後まで家族に感謝し、また家族から感謝されるような生き方を望んでいる。
(3)最後に、私は財産の処分については、すでに遺言として公正証書を作成しているので、遺言執行者の指示に従ってほしい。』
(平成24年2月)